同じ頃、マイクロソフトのビル・ゲイツもゼロックス社パロアルト研究所の人材を引き抜いて、アップルのマッキントッシュに対抗したOSの開発を目指していました。1985年には「ウィンドウズ バージョン1」を発売しています。その後ウィンドウズの改良を行ない、1992年に発売したウィンドウズ3.1から、本格的にGUIパソコンへの道を歩むことになります。
1990年代初頭の日本はバブルの絶頂期であり、NECのPC9801シリーズやアップルのMacintoshシリーズが全盛の状態にありました。また、外国勢ではIBMとコンパックの販売競争が繰り広げられていました。さらに、CPUの16ビットから32ビットへの移行など、技術革新がすごいスピードで行われていきました。しかしながら、パソコンユーザー側から見れば、ソフトを選ぶ場合には、NECのコンピュータ、富士通のコンピュータ、シャープのコンピュータ、IBM互換機、マッキントッシュのコンピュータと、別々のソフトを購入する必要があり、多くのソフトメーカーもその開発の難しさに直面していました。
期を同じくして、全く異なるアプローチがコンピュータ業界に起こりました。1991年9月、フィンランドのリーナス・トーバルズは、世の中に新しいOSとしてリナックス(バージョン0.01)を公開しました。このOSはオープンソースであったことから、世界中のプログラマにより改良が行われました。1994年4月にヘルシンキ大学で、バージョン1.0の発表が行われてからは、マイクロソフトやアップルのOSに対抗するOSとして認められるようになってゆきました。リナックスの一番の特徴は、OSのソースコードの無料公開ということです。多くのメーカーやソフトメーカーが著作権で争っていた中、リナックスの登場は、新しい風をコンピュータの世界に呼び込みました。
この時代は、コンピュータメーカーの利権争いが盛んで、日本とアメリカの間でも特許問題や半導体のダンピングなどが問題となりました。このような中で、利権にとらわれないリナックスは、新しいものの考え方を提唱して、一躍有名になりました。
リーナス・トーバルズ
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