コンピュータの歴史(13)

マッキントッシュの誕生

   
このような中で、アップルは、より使いやすいパソコンを目指して開発を行っていました。アップルのスティーブ・ジョブズは、ゼロックス社のアラン・ケイが開発したパソコン「アルト」を見て感動し、パーソナルコンピュータの未来を予見しました。アラン・ケイは、1940年にマサチューセッツ州スプリングフィールドで生理学者の父と、画家で音楽家の母の間に生まれました。彼は、コロラド大学で数学と生物学の学士号を取得し、ユタ大学大学院に進学し、コンピュータグラフィックの発明者であるアイヴァン・サザランドと出会い、パソコン開発者の道に進んでいきます。アラン・ケイは、現在のノートパソコンの原型を予測して、ダイナブックという名前の模型も作成していました。彼がカリフォルニア州、シリコンバレーにあるゼロックス社のパロアルト研究所で開発した「アルト」というコンピュータは、現在のコンピュータの要素をすべて持っているものでした。マウスやクリックといった操作は、このコンピュータで初めて開発されたものでした。しかし、その先進性ゆえにゼロックス社で、この開発は理解されませんでした。それゆえ、当時の技術者は、ゼロックスを去って他の会社に移って行きました。この時の技術者の一人が「アドビ」の創始者ジョン・ワーノックです。

アップルは、パロアルト研究所から、ラリー・テスラーを引き抜きパソコンの開発を行います。1983年に「アルト」の血統を引き継いだ「リサ」というパソコンを発売しますが、価格が高すぎ売れませんでした。続いて1984年にさらに洗練された「マッキントッシュ」を発売することになります。このマッキントッシュの発売により、アップルは、パソコン業界で確固たる基盤を作ることになります。マッキントッシュのようなパソコンはGUI(グラフィックユーザーインターフェース)を持つパソコンと呼ばれるようになりました。これに対して、MS-DOS上で動くIBM-PC互換機は CUI(キャラクターユーザーインターフェース)のパソコンと呼ばれました。

アラン・ケイが開発したアルト   

    
リサ                       マッキントッシュ

アップルのマッキントッシュシリーズは、1980年代後半から、90年代前半にかけて最も魅力的なパソコンとして世界的に有名になりました。1986年には、Macintosh Plus J(漢字Talk1.0)が日本でも発売され、1989年には、世界的に人気を博したMacintosh SE/30が発売されています。そして、1990年には、漢字Talk6.0.7の発売をきっかけに、日本でも多くのマッキントッシュファンが生まれてくることとなります。さらに1991年に、アップルはマイクロソフトより早く、マルチタスクを可能としたSystem7.0を発売しました。日本におけるマッキントッシュの人気は、この後Windows95が発売されるまで揺らぐことはありませんでした。

前に戻る                                              次を読む